イタリアがくれたこの時間にエッセイを

イタリアがくれたこの時間にエッセイを

イタリアに住み始めて3年以上が経った。どちらかというと、経ってしまったというほうが正確な印象だ。
あっという間だったが、経験したいろいろなことを加味すると、例えようもなく長い年月だったことは確かだ。
そもそも、イタリアはおろか外国に住むことなど私の人生では予定になかったことだ。
大学を卒業してからは特に何も考えず、普通にサラリーマン生活を送っていたのだが、35歳を過ぎてイタリア語を趣味の一つとして習い始めた。
なぜイタリア語を選んだのかと言うと、発音が簡単で一度も勉強したことが無い言語だったから。本当にただそれだけ。
習い始めた理由もひどいもので“趣味を持たない35歳を過ぎた自分が怖かった”から、である。
音楽や芸術に疎く、スポーツも不得意。仕事と飲み会、適当に毎日を過ごしていたその頃の自分の人生に恐怖が生じ、とにかく何でもいいから始めようとイタリア語教室へ通うことにしたのだ。
優秀な生徒では決して無かった。ミラクルなタイミングと出会いの恩恵を受け、2018年の今、こうしてマルケ州のアンコーナという街でイタリア男性の日本人妻として暮らしている。
本当に不思議なめぐりあわせである。

さて、ここイタリアに来てからはいわゆる無職状態が続いている。そう、未だにだ。
最初のころは、イタリア語の学校に通っていたので新米イタリア移住者っぽく楽しかったものの、1年を過ぎるころには「イタリアに来たのにこんな生活でいいのか?」という迷いが心を覆うようになった。その上、実際の生活にかかる費用などを考えると、自分が“無職であること”がさらに息苦しくなった。知り合いからいつも「仕事はしているの?」と質問を受け、「放っといてくれ」と苦々しく思ったものだ。今となれば、共通の話題を持たない東洋人の私に対して会話の緒が“仕事”くらいしか見つからなかったこともよく理解できる。だから今では私の答えも堂に入ったものでこうだ「仕事を得ることは難しいわ。だってイタリア人ですら仕事にありつけて無いのだから、私の番なんてまだまだ先よ」。

この、仕事にありつけず予定に縛られない時間は、もし、日本で生活を送っていたとしたら存在しなかっただろう。社会と常に交わっておく為にも何かしらの仕事はしていたはずだ。なので、この私が今ここで経験している時間は、まさに”イタリアがくれた時間”。折角なので、この“イタリア時間”を使って、イタリア暮らしやイタリアの人たちを通して見えたこと、また日本について感じることをエッセイにしてみてはどうだろうか?と思いついた。旅行や実生活に役立つイタリアの情報提供の場ではなく、見たり、聞いたり、感じたりと、実際に私がここで経験したこと、また、ときには推測や希望なんかも交えたりして、日常生活を書き綴っていきたいと思う。そこに共感や驚きが生まれることを願いながら。

Ci vediamo presto.
またお会いしましょう。

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