Una giapponese pulisce strada Pesaro :イタリア全土を駆け巡った一人の日本人女性のニュース

Una giapponese pulisce strada Pesaro :イタリア全土を駆け巡った一人の日本人女性のニュース

日本語はこちらからどうぞ。

Tutto ieri, mi vengono i messaggi continuatamente dai diverti amici e conoscenti dicendo una notizie su una giapponese a Pesaro. Il sindaco di Pesaro aveva cercato una giapponese che pulisce pulisci volontariamente i luoghi pubblici e l’ha trovata.

Oggi ho visto che questa notizia è stato descritto in molte notizie in Italia, mi ha fatto sorprendere un po’ . Questa donna giapponese sarebbe brava perché io non pulisco ai loghi pubblici, pero pulire gli spazi comuni non è una cosa specialissima e rarissima, certo, è difficile immaginare che così tanti media parlino di queste notizie. Come avevo già scritto su questo blog, la pulizia, pulire i luoghi, sarebbe una delle nostre abitudini quotidiani.

Credo che sia pesante e difficile fare le cose che non abbiamo imparato nella vita. ma noi, la maggior parte dei giapponesi, sono educati cosi in un metodo giapponese. Immagino che sia molto difficile riqualificare un’abitudine, ma qualcuno di voi , dopo che abbiate conosciuto questa notizia, comincia a fare un lavoro simile, penso che sia fantastico.
È importante che ogni persona cambi i suoi pensieri e i suoi comportamenti quando abbia saputo una cosa nuova. Aspettare che le regole cambino è inutile.

昨日、数人の知人から、

ある同じニュースが私のもとに送られてきた。
内容は、マルケ州にあるPesaroという街で、街の掃除を奉仕的にやっている一人のアジア女性が街の防犯カメラに映りこんでいて、その行いに感動したPesaro市長がその女性をFacebookを通して探しだした、というものだった。
昨年末も、ナポリで日本から来た若者が、その彼女と街を掃除しているというニュースがイタリアを駆け巡ったばかりで、今回はPesaroの日本人女性。今朝になると、また多くのニュースで取り上げられていて「日本人の市民である意識の高さ」「日本での教育方法」などが語られている。

正直、そんなにすごいことではない様に思える(もちろん、公共の場を清掃するという行為をしていない私がこんな言葉を連ねては失礼なのは重々承知だが)が、イタリア人にとっては晴天の霹靂だったのだろう。自分や家族、少し広げて友達たちの徳となるならばやる価値はあるけど、全く知らない他人の為に何かをするという考え方は総じて存在しないように思える。
日本人にとってあ当たり前のことが、ここでは普通に当たり前ではなくなるのが面白い。
当たり前のことをやって、イタリア全土をスーパーヒーロー、ヒロインとなって圧巻するなんて、ちょっと想像できない。
ただ、それほど「公共の場所を無償で一人で勝手に掃除する」という行為が彼らにとってはそこはかとなく尊い行為だったことは間違いない。日本で教育を受けて、自然と身についた日本的なしつけの存在については感謝の一言だ。

このニュースでもう一つ驚いたことは、この日本人女性をFacebookを経由して探し当てたということ。ニュースにはこの女性のFacebookページに使われれているプロフィール写真が載っていたりもする。FacebookやTwitterといったソーシャルネットワークサービスは、そこに掲載した情報の二次利用は基本認められているのは確かだが、イタリアではテレビ番組などでも、ニュースソースとしてこの手のソーシャル上での情報が頻繁に利用されている。ニュースがソーシャル上での情報で成立しているのではないか、と思うこともしばしばだ。日本では私的なことや個人的なつながりを求めるソーシャルネットワークだが、こちらでは情報入手のために利用している人が非常に多く、そのため、企業や商店のソーシャル利用率が個人の利用率に比べると高いような気がする。近郊での週末のイベント、観劇やコンサート情報も、Facebook経由でほぼ得ることが出来るので、これはこれでとても便利だ。

話しがかなりそれてしまったが、イタリアでは日本や日本文化への興味は非常に高く、日本人に対して高い共感度を持ってくれることが多くある。上の様な記事の行動を、他の国の人がやっていたらどうなっていたのだろうか。ニュースになっていたのだろうか?
そういう意味では、私はとても幸せな境遇でここに迎えられていると思う。

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